菊は
薬草や観賞用植物として平安時代より用いられ、
宮中では菊の節句とも呼ばれる重陽の節句(旧暦9月9日)が明治時代まで行われ、
現在でも皇室園遊会(観菊御宴)として行われている。
日本で菊の栽培が盛んになったのは、栽培のプロセスが冬に芽をとり、
春に植え、夏に成長させ、秋に観賞するといった具合で、
イネの栽培と類似していることが影響しているとの説がある。
現在では各地に愛好会ができる一方で、
秋にはそれらが主催の品評会が開かれている。
菊花紋章は、
鎌倉時代の初め後鳥羽上皇が菊の花の意匠を好み、
「菊紋」を皇室の家紋とした頃からである。
鎌倉時代には、蒔絵や衣装の文様として流行した。
日本の南北朝時代以降には、
天皇より下賜されることで、公家や武家の間で家紋として使用されるようになった。
日本で観賞用多年草植物として発展した品種群を和菊、
西ヨーロッパで育種されて生まれた品種群を洋菊と呼ぶ。
観賞園芸的には和菊、生産園芸的には洋菊が中心に栽培されている。
バラ、カーネーションとともに生産高の多い花卉となっている。
日本には350種ほどの野菊が自生するが、栽培菊は日本になかった。
『万葉集』には157種の植物が登場するが、菊を詠んだ歌は一首もなく、
飛鳥時代・奈良時代の日本に菊がなかったことを暗示する。
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