春日大社(かすがたいしゃ)は、
全国に約1000社ある春日神社の総本社である。
神護景雲2年(768年)、平城京の守護と藤原氏の氏神として、
藤原不比等が、藤原氏の氏神である鹿島神(武甕槌タケミカヅチ命)を、
春日の御蓋山(みかさやま)に遷して祀り、春日神と称したことを創建としている。
藤原氏の隆盛とともに隆盛し、平安時代初期には官祭が行われるようになった。
例祭である春日祭は、賀茂神社の葵祭、石清水八幡宮の石清水祭とともに
三勅祭(天皇の勅使が派遣されて執行される神社の祭祀)の一つとされる。
藤原氏の氏神・氏寺の関係から興福寺との関係が深く、
813年(弘仁4年)、藤原冬嗣が興福寺南円堂を建立した際、
その本尊の不空絹索観音が、当社の祭神・武甕槌命の本地仏とされた。
神仏習合が進むにつれ、春日大社と興福寺は一体のものとなっていった
旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。神紋は「下がり藤」。
ユネスコの世界遺産に「古都奈良の文化財」の一つとして登録されている。
神が白鹿に乗って 奈良の地を訪れたという伝承から、鹿は神の使いとされている。
平成10年(1998)、古都奈良の文化財として
春日大社と春日山原始林の30万坪の境内が世界遺産として登録されました。
社殿は20年毎に斎行される式年造替という制度により、
社殿の御修繕、御調度の新調、祭儀の厳修により、
今日までその華麗な社殿を連綿と受け継がれてきた。
1871年(明治4年)に春日神社に改称し、官幣大社に列した。
1946年(昭和21年)12月に現在の春日大社に改称した。
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