薬師寺(やくしじ)は、
興福寺とともに法相宗の大本山、南都七大寺のひとつに数えられる。
本尊は薬師如来、開基は天武天皇、道昭、義淵である。
1998年(平成10年)に古都奈良の文化財の一部として、
ユネスコより世界遺産に登録されている。
薬師寺は天武天皇9年(680年)、天武天皇の発願により、
飛鳥の藤原京(奈良県橿原市)の地に造営が開始され、
平城遷都後の8世紀初めに現在地の西ノ京に移転されたという。
なお、平城京への移転後も、
飛鳥の薬師寺(本薬師寺)はしばらく存続していた。
史料や発掘調査の結果からは平安時代中期、
10世紀ころまでは存続していたようだが、後に廃寺となった。
東塔については『扶桑略記』の記述通り、
平城移転後の天平2年(730年)新築と見る説が通説となっている
西塔は飛鳥からの移築だったとする説もある。
平城京の薬師寺は、天禄4年(973年)の火災と
享禄元年(1528年)の筒井順興の兵火で多くの建物を失った。
現在、奈良時代の建物は東塔を残すのみである。
天禄4年の火災では金堂、東塔、西塔は焼け残ったが、
講堂、僧坊、南大門などが焼けた。
1960年代以降、名物管長として知られた高田好胤が中心となって、
写経勧進による白鳳伽藍復興事業が進められ、
1976年に金堂が再建されたのをはじめ、西塔、中門、回廊の一部、
大講堂などが次々と再建された。
薬師三尊像
金堂に安置する、薬師寺の本尊。国宝。
飛鳥時代後期(白鳳期) - 奈良時代(7 - 8世紀)の作。
国宝指定名称は「銅造薬師如来及両脇侍像 3躯」。
中尊は薬師如来、左脇侍(向かって右)に日光菩薩、
右脇侍に月光菩薩を配している。
日本の仏像彫刻が、独自の古典様式を完成した7 - 8世紀の作品のなかでも
最高傑作の1つとして古来名高いものである。
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