中世、自治都市として繁栄し莫大な富を蓄積した堺は、
時の権力者たちの支配権争いの場でもありました。
細川、三好らの戦国大名に始まり、織田信長、さらに豊臣秀吉により、
堺の富は奪われそして、
慶長20年(1615年)の大坂夏の陣で、
約2万戸ともいわれた家や寺は兵火にあい壊滅的な被害を受けました。
しかし、この後の徳川幕府はすぐ復興に着手し、
環濠を掘り直して碁盤の目状に道を整備しました。
この「元和の町割」は、現在までほぼそのまま引き継がれています。
山口家住宅は、この元和の町割直後の江戸時代初期に建てられたも のと考えられています。
山口家住宅の主屋は現存する数少ない江戸初期の町家のひとつとし て、昭和41年(1966年)に国の重要文化財に指定されています。
江戸時代の堺は鉄砲や包丁、織物などの製造業を中心に発達し、
商工業のまちとしても成熟していきます。
今でも錦之町東から神明町にかけての一帯には、
そのたたずまいをほうふつとさせるまちなみが現存しています。
堺の町家暮しの雰囲気を今日に伝え、
その豊かな暮らしを思い起こさせる全国的にも極めて貴重な町屋です。
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