8 Wisdom  nico-wisdom.com
Wisdom  ■日本紀行   ■My Fhoto World   ■成功の条件 
Top Pageへ   ■世界の医学史  ■日本の医学史   ■ホスピスと介護 
 ■宇宙と地球と人類の物語
 ■和紙と日本文化   ■ふすま絵の世   ■随縁記
  
■お問い合わせ   ■nico-wisdom

 
    Wisdom
                 和紙と日本の文化 
■Top Pag
pageTOP




第三章 
和紙の製法


第三章 目次 
第一章に戻る     第二章に戻る   第四章へ
(一)和紙の原料 カジノキと楮 ガンピ 稲、麦わら ミツマタ  
(二)抄造工程 水と和紙 水素結合  原料の調整  填料と
サイジング剤
 米 粉  白土、陶土
胡 粉 雲 母  礬 水 ロジン(rosin) 華麗な
和紙漉き
乾 燥
仕上げ

(三)製紙の用具 漉き簀 漉き紗 漉き桁 脱水乾燥具    

 

(一)和紙の原料



  
■カジノキと楮
 
 『正倉院文書(もんじよ)』には、麻紙(まし)の文字が最も多く、次いで穀紙(こくし)、梶紙、加地紙、加遅紙が多い。白紙、色紙、打紙などもカジノキが原料と考えられており、カジノキが主要な原料であったようである
 このほかに比較的多くみられるのは、斐紙(ひし)、檀紙(だんし)(真弓(まゆみ)紙)、葉藁(はわら)紙(波和良紙)、ほかに楡(にれ)紙、杜仲(とちゆう)紙、竹幕(ちくばく)紙などが原料を示す紙名である。

         カジノキの樹皮     麻の繊維
          カジノキの樹皮                      麻の繊維

 国策として図書寮の紙屋院の技術者派遣により、全国に紙漉場(かみすきば)が設けられ、各地でさまざまな植物繊維が原料として使用され、植物の名の混同もあり、さまざまな紙名が生まれることとなった。
 古代の製紙原料としての麻は、主としてクワ科の大麻、苧麻(ちょま)の麻布を切断して、その靱皮(じんぴ)繊維を利用した。
 しかし麻の繊維は処理が難しく、日本では平安末期に利用されなくなったとされている。
 しかしカジノキはクワ科の多年生落葉高木で、古くから楮(こうぞ)と同種のものとして利用され、混同して扱われている。

     楮の葉 楮の繊維
               楮の葉                      楮の繊維

  しかしコウゾは落葉低木で、厳密にはカジノキとは異種のものであり、楮(こうぞ)の字を用い、カジノキには穀、梶、構の字をあてているが、その識別は容易ではなく古来混同されてきた。
 楮の繊維は、麻に次いで長繊維が絡み合う性質が強く、その紙は粘りが強く揉んでも丈夫な紙となる。
古くは、檀紙(だんし)は真弓紙とされているが、平安後期以後の檀紙はダンシと読まれ楮紙とされている。
 古代では、植物の名前も地方によって呼び名が異なり、混同や混乱が多い。
 古代から和紙の主原料として利用されてきた楮は、栽培が比較的容易であることと、楮で漉かれた紙は丈夫あり、さまざまな用途に適していたことなどがその理由と考えられる。
 楮の繊維はその繊維が太くて長く、繊維が絡み合い和紙特有の丈夫な紙となる。
 厚様の楮紙は男性的で強靭であり、幕府の公文書などに使用された。一方薄様の楮紙はしなやかで柔らかく、女官に好んで使用された。

      楮の顕微鏡断面    楮和紙の繊維
         楮の顕微鏡断面                  楮和紙の繊維


 代表的な楮紙は、
・越前奉書紙(福井県)・杉原紙(兵庫県)・西ノ内(茨城県)・美濃紙(岐阜県)・泉貨紙(愛媛県)などがある。
 楮紙の用途で主なものは、公文書や書写用や木版印刷用であり、これに次いで生産量が多いのは障子紙、続いて傘紙であった。
 江戸時代には、提灯(ちようちん)・あんどん・扇子・団扇・紙衣(かみこ)・帯・足袋(たび)・合羽・膏薬(こうやく)・凧(たこ)・双六(すごろく)・千代紙・郷土玩具・襖・屏風・敷物のほか、宗教・祭礼・儀礼・茶道用などさまざまな用途に加工され使われた。
 楮の皮の繊維を蒸して水にさらし、細かくさいて作った糸を木綿(ゆふ)(ゆう ともいう)と言う。同じ字の木綿(もめん。綿(わた)の繊維)とは別のものである。幣(ぬさ)として神道の祭事に用いられたが、後に紙で作られ注連縄(しめなわ)につるす紙垂(かみだれ)(しで 、四手)も用いられるようになった。
 このことは、前にもふれている。




                   
  ■ガンピ

 斐紙(ひし)は、雁皮紙(がんぴし)のことである。
ガンピの名の由来は、カニヒ(伽尼斐)という植物の古名から転化したという説と、カミヒ(紙斐(かみひ))が訛(なま)ったともいわれている。
ガンピはジンチョウゲ科の落葉低木で、奈良時代から製紙原料として用いられている。

      ガンピの樹 ガンピの繊維
               ガンピ                   ガンピの繊維

 ガンピは暖地産であり、栽培が難しく、野生のものを利用している。
 生育する東限は静岡の伊豆、北限は石川の加賀市付近までである。
 繊維は楮(こうぞ)の三分の一程度と短く、その質は優美で光沢があり、平滑にして半透明でしかも粘性があり緊縮した紙質となる。

      雁皮の顕微鏡断面図 雁皮紙の表面拡大
           雁皮の顕微鏡断面図           雁皮紙の表面拡大

遣唐使と共に唐に渡った最澄(さいちよう)が、わざわざ土産として、筑紫の斐紙(ひし)を二百張り持参している。紙の先進国である中国に、土産として持参できるほどに高い評価を得ていたことになる。
 平安期の公家の女流詩人たちに、かな文字を書  雁皮の繊維拡大図くのに、もっともふさわしい紙として愛用され、中世から近世にかけて、鳥の子紙の名で紙の王としてその名を知られている。





  ■稲、麦わら

 葉藁(はわら)は、稲または麦のわらを原料としている。
 中国では早くから稲、大麦、小麦の藁を工夫して用いているが、もともと繊維の長さが非常に短く紙質は粗雑で、日本ではもっぱら信仰にちなむ火紙や手紙(鼻紙)、そして包装紙などに用いられた。
 奈良時代に試みに漉かれ、波和羅(はわら)紙、葉藁紙などの文字の記録がある。
 中世にも永禄三年に甲州藁檀紙(だんし)や麦光紙の記録がある。紙の普及に伴い楮が高値となり、やむを得ず麦わらを補助原料に使用したものであろう。    

          麦わら
    
 
 稲わらを苛性ソーダで処理して本格的に使い始めたのは、明治時代に入って大蔵省印刷局抄紙部であった。
 大蔵省印刷局抄紙部では、さまざまな繊維を用いて抄き、最も偽造されにくく、しかも量産できて、しかも強靱な紙の開発のため試行錯誤を試みている。

       稲藁繊維の50倍拡大図 藁半紙70倍拡大
              稲藁繊維の50倍拡大図             藁半紙70倍拡大


「大蔵省印刷局沿革録」抄造工場の部、(明治8年)の項に、
「紙漉職工を越前国に募る。敦賀(福井県)には古来製紙専業の者多きを以て、同県庁と商議を逐げ、奉書、鳥ノ子、美濃紙等の製造に熟練せる職工数名を傭(やとい)入れ、また須要(必須)の抄紙器具を購入す」
とある。

     太政官札


     大日本帝国紙幣

 こうした試行錯誤で、最初の太政官札「壱両」が摺られ、そののちに大蔵省紙幣司に越前和紙の職人達が集められ、高度な紙幣が印刷されるようになってゆく。
 紙幣の話は、のちに詳しくふれる。
 その後、明治12年(1879)から徐々に和紙業者に広まり、書道半紙、半切紙、書院紙などの補助原料となっている。「藁半紙(わらはんし)」の名で知られるようになり、書道半紙としてもっとも多く稲わらが用いられた。
 余談ながら、筆者の子供時代の書道半紙は、藁半紙(わらはんし)と言っていた。






  ■竹

 竹幕紙(ちくばくし)は、竹が原料である。
 日本では書道用紙の補助材料にすぎないが、中国では宋代から最も多く用いられる主要原料となっている。
 元来、竹紙は粘りが無く裂け易い紙質であったが、中国では技術改良がなされ、樹皮紙にまさるとまで評価されるほどになっている。

          竹幕紙
                    竹幕紙
 
 『正倉院文書』には、竹幕紙が使われているものがあり、マダケなどの皮の下部の軟らかく白い繊維を用いて漉いている。紙の性状は、黄色で染紙のように仕上がっている。材料の竹が身近にあり、安価であったから、公式の記録ではない日常の記録に用いられたのかもしれない。






  ■ミツマタ

 春の訪れを、待ちかねたように咲く花の一つが三椏(みつまた)である。               
 春を告げるように一足先に、淡い黄色の花を一斉に開くので、サキサクと万葉歌人はよんだ。
 三椏(みつまた)はジンチョウゲ科の落葉低木で、その枝が必ず三叉、すなわち三つに分岐する特徴から、三枝、三又、とも表記されている。
 三椏(みつまた)が和紙の原料として登場するのは、近世の16世紀の戦国時代になってからであると一般的にはいわれている。
 
          三椏の白皮の繊維  三つ叉の木
            三椏の白皮の繊維             三つ叉の木

 しかし、万葉集にも度々登場する良く知られた三枝(みつまた)が、和紙の原料として使われなかったはずがないという説がある。
 つまり、平安王朝の貴族たちに詠草(えいそう)料紙(りょうし)として愛用された斐紙(ひし)(美紙ともいう)の原料である雁皮(がんび)も、三椏(みつまた)と同じジンチョウゲ科に属する。
 何度もふれるが、古い時代には、植物の明確な識別が曖昧で、混同することも多かったために、雁皮(がんび)も三椏(みつまた)を原料としたものも、斐紙(ひし)と総称されて、近世まで文献に紙の原料としての三椏(みつまた)という名がなかったのであろうと推測される。
 後に植物の知識も増え、製紙技術の高度化により、雁皮(がんび)と三椏(みつまた)を識別するようになったと考えられる。

        三椏の白皮の繊維 三椏の顕微鏡断面
                  三椏の白皮の繊維             三椏の顕微鏡断面 

 「みつまた」の最初の文献は、徳川家康がまだ将軍になる前の慶長3年(1598)に、伊豆修善寺の製紙工の文左右衛門に三椏(みつまた)の使用を許可した黒印状(諸大名の発行する公文書)である。
「豆州(ずしゆう)(伊豆)にては 鳥子草(とりのこそう)、かんひ みつまたは 何方(いずかた)に候(そうろう)とも 修善寺(しゆぜんじ)文左右衛門より外(ほか)には切るべからず」
とある。
「かんひ」は雁皮(がんび)のことで、鳥子草が何であるかは、今日ではよくわからないが、当時は公用の紙を漉くための原料植物の伐採は、特定の許可を得たもの以外は禁じていたことがわかる。
 大蔵(おおくら)永常(江戸時代の三大農学者の一人、農業関連の著述が多い)の、『紙漉必要(ひつよう)』(天保7年(1836))には、三椏(みつまた)について
「常陸(ひたち)、駿河、甲斐の辺りにて 専(もつぱ)ら作りて漉き出せり」
とある。武蔵の中野島付近で漉いた和唐紙(わからかみ)は、この三椏(みつまた)が主原料であった。
 佐藤信淵の『草木六部畊種法(こうしゅほう)』(草木についての解説書)には、
「三又木の皮は 性の弱きものなるを以(もつ)て 其(そ)の紙の下品(げぼん)(品質が最低の意)なるを 奈(な)んともすること無し」
として、楮(こうぞ)と混合して用いることを指摘している。

            大日本帝国国立銀行札 一圓

            大日本帝国国立銀行札 百圓

 
 明治になって、政府(大蔵省印刷局抄紙部)は雁皮(がんび)を使い紙幣を作ることを試みたが、肝心の原料の雁皮(がんび)の栽培が困難で有ることが判明したために、原料確保の観点から方針を変更せざるをえなかった。
 試行錯誤ののち、栽培が容易な三椏(みつまた)を原料として再研究し、 明治12年(1879)、「苛性ソーダ煮熟(しやじゆく)法」を考案することで、紙幣に絶える紙の抄造に成功したのである。
 以来今日まで、三椏(みつまた)を主原料とした日本の紙幣は改良が重ねられ、その紙質の強靱性と、きめ細やかさ、そして黒透かし技術及び手彫りエッチングによる特殊な印刷技術などで、世界に誇れるものとなっている。
 ただ、偽札防止のため、紙の原料配合や製紙方法は現在も秘密にされている。
 
           日本銀行札 一万円

 「黒透かし」技術はもともと越前の紙漉技術であったが、紙幣に採用後、政府により一般には禁じられ、「白透かし」紋様だけが、鳥の子紙や障子紙に継続使用されている。 
 手漉き和紙業界でも、野生だけで供給量の限定されたガンピの代用原料として三椏(みつまた)を栽培し、現代の手漉き和紙では、楮(こうぞ)に次ぐ主要な原料となっている。現代の手漉き鳥の子和紙ふすま紙は、三椏(みつまた)を主原料としている。

      紙幣原料繊維の叩解工程    紙幣抄造の工程 紙幣の原紙
           紙幣原料繊維の叩解工程              紙幣抄造の工程 紙幣の原紙


pageTOP




  
(二)抄造工程



  ■水と和紙

 紙を抄造(しょうぞう)するには、植物から繊維を分離し、細かく砕いて水に懸濁(けんだく)(液体中に分散)させ、水だけを濾(こ)して、繊維を薄く平らに絡み合わせてシート状にして、乾燥させるという工程を経る。
近代的な洋紙の工業生産では、紙の生産量の約100倍もの水が使用される。手漉き和紙の生産には、もっと多くの割合の水が使用される。

            水に懸濁(けんだく)させた繊維
                  水に懸濁(けんだく)させた繊維

  従って紙郷(手漉き和紙の生産地)は水に恵まれた所に立地しており、その水は良質でなければならない。前出の大蔵永常の『紙漉必要』には、
「紙を漉くには 山川の清き流れ有りて 泥気なく小石にて浅く滞りなく 流るる 川の浄地を佳(よし)とす その所の水によりて 紙の善悪あれば まず水を見立てること第一なり」
とある。
紙を漉く水は、浮遊物や鉄分やマンガンを含んでいないもので、しかもカルシュウム・イオンやマグネシュウム・イオンの含有量の少ない軟水であることが望ましい。硬水は軟水のようには、粘剤(ネリ)を効果的に作用させることができない。

           美濃和紙の里 武芸川蕨生
                   美濃和紙の里 武芸川蕨生

 清らかな水から生まれる紙は、水に対して親和性があり、墨やインキで書くことができ、絵の具で絵を描いたり、染料で着色もできる。
 また、紙に親水性があることは、水に対して極めて弱いという欠点も有している。しかし、水によって紙が分解されるということは、一度使用した紙を何回も再生できるという長所にもなっている。そして紙は、微生物によって分解されても、火によって燃やされても、本来の炭酸ガスと水とに分解される。(現代の洋紙では、さまざまの紙力増強剤により、単純に水だけでは分解しないものも多くなっている)





  ■水素結合

 そもそも植物繊維の主成分のセルロースは炭水化物で、水と炭酸ガス(二酸化炭素)が太陽エネルギーを得て、光合成によって生成した化合物である。

               セルロース水素結合モデル
                    セルロース水素結合モデル

 分子中には無数の水酸基(OH)を含み、水となじみやすい特性(親水性)を持っている。
 セルロースは、非常に多数のブドウ糖(グルコース)が長く一列に連なった線上の高分子である。
 この長い分子が多数集合してフィブリルという微細組織を作り、これがさらに多数集合して繊維を形成している。
このようにセルロース分子が集合するときに、分子が密接に平行した部分(結晶領域)と、分子が無秩序にまばらに分散している部分(非結晶領域)とができる。


            微細繊維(フィブリル化)
                      微細繊維(フィブリル化)

 各分子は非結晶領域から始まり、いくつかの結晶領域と非結晶領域と交互に連なり、非結晶領域で終わる。
植物から取り出した繊維を、水の中で叩解(こうかい)すると組織が緩(ゆる)み、水が非結晶領域の中まで入り、セルロース分子の各水酸基は水分子と結合し、繊維の組織の結合が緩んで膨潤(ぼうじゆん)して柔軟になり、繊維表面はセルロースを最小単位とするフィブリルという微細組織に分かれ、全表面積が増大する。
このように微細繊維化(フィブリル化)した繊維を、簀(す)ですくい上げて絡み合わせて、圧搾して水を除くと、微細繊維は相互に密着する。乾燥によって、膨潤していた繊維は収縮して硬くなり、繊維の接触点では水酸基の間に水素結合が行われ、紙全体が形状と強さを保つようになる。紙はこのように、水を触媒としたセルロースの水素結合体(C6H10O5)nなのである。








  ■原料の調整


  ①蒸す

 手漉き「和紙」が千数百年もの間、昔ながらのやり方で抄造され続けていることは、日本の伝統文化の粋であるといえる。
 現在の和紙の原料の主な植物は、楮(こうぞ)、雁皮(がんび)、三椏(みつまた)の三種で、いずれもその樹皮の靱皮(じんぴ)繊維を利用している。

         皮を剥いだ楮の靱皮繊維
            皮を剥いだ楮の靱皮繊維

 靱皮(じんぴ)繊維とは、植物の外皮のすぐ下にある内皮に含まれる、繊維細胞の集束した組織である。
 雁皮(がんび)は生木のまま、生剥ぎをするので初夏に採集する。
 楮と三椏は、初冬に枝を採り、約一メートルの長さに切り揃えて束ねる。
 水を張った鉄釜に杉の枝を井桁(いげた)状に組んだ上に、刈り取った束をのせて、橿(きよう)という大きな木桶をかぶせ、火を焚いて蒸す。
柔らかくなった枝は、冷水をふりかけて靱皮(じんぴ)部分を収縮させ、皮を剥(は)ぎ取る。生剥ぎした雁皮(がんび)も、蒸して皮を剥いだ楮(こうぞ)と三椏(みつまた)も、いずれも樹皮は竹竿などにかけて充分乾かして保存する。これを黒皮といい、和紙の原料となる。



  ② 煮る

和紙を漉くときには、黒皮を水に浸して再び柔らかくする。流水中に、夏なら数時間、冬ならば一日ほど浸けて、浅瀬の石の上に置いて足で踏みつけるか、小刀で削り取って黒皮の黒い表皮を除く。残された内皮の靱皮(じんぴ)を白皮という。この白皮はそのまま乾燥して保存もできる。
白皮は、主成分のセルロースのほかに多くの不純物を含んでいるため、これを精製する必要がある。白皮を鉄釜の沸騰している湯の中に入れ、一時間ほど煮て繊維をほぐす。
 煮た白皮をいったんざるにとり、更にアルカリ液でほど良く煮熟(しやじゆく)する。アルカリ液は、古式では木灰から浸出させた灰汁(あく)や石灰水を用いる。

           靱皮繊維を煮る
                 煮る
 
 明治37年 刊、佐伯勝太郎著の『日本製紙業管見』に、
 「由来製紙の術に於て、最も緊要なるは紙料の調製にして、之が良否は、煮熟の可否に基けり」
とあり、製紙工程のなかで煮熟が、紙の良否をきめるもっとも重要な工程とされている。 
 その煮熟に使用するアルカリ液は、もともと草木灰汁(あく)で、繊維の損傷がもっとも少なく、強靭な紙をつくるのに適していたという。加賀奉書の煮熟に用いた青ズイキ灰は、もっとも光沢のある紙料が得られたという。
 
 現代では、ソーダ灰18%、苛性ソーダ1%の溶液を使用する。煮熟時間は、薬剤の種類や原料の黒皮の保存期間、枝の先の部分と根本(ねもと)に近い部分などの条件を考慮して加熱温度を調節し、約一時間半から五時間ほど加熱する。

            煮熟後の繊維
               煮熟後の繊維

煮熟が終わったら自然に熱を冷まし、白皮を流水中で水が透明になるまで洗浄する。
 白皮の繊維の不純物は、ヘミセルロース、ベクチン、リグニン、タンニン、色素、蛋白質、樹脂などで、これらはアルカリの作用で分解し溶け去る。ヘミセルロースは、セルロースと密接に混在しているため、最後まで部分的に残る。あく抜きは夏ならば半日、冬ならば二昼夜ほど川にさらす。

             煮熟後の繊維のちり取り
                  煮熟後の繊維のちり取り

 洗浄された繊維は、少量ずつ笊(ざる)にとり水に浮かべて、混じっているごみや表皮を丹念にとりのぞく。この塵(ちり)取りは、非常に大切で根気のいる作業である。



  ③ 叩く

  塵取りの終わった原料を軽く絞り、湿ったまま適量を丸めて木製の台の上に置き、端から順に木の棒か木槌(きづち)で打ちこなしをする。
 平らに延びた原料を再度丸めて、また打ちこなしを繰り返す。これを4、5回繰り返す。この紙打ち作業のことを紙砧(かみきぬた)ともいい、現代の製紙用語では叩解(こうかい)という。
 この叩解作業は、和紙づくりでは長く手打ちが守られてきた。和紙抄造工程のなかで最大の重労働といわれ、西欧や中国では早くから火力や水力の利用が進んでいた。
 しかし、良質な和紙づくりのために、手漉き和紙では手打ちが続けられ、今も高級和紙にはこの技法が継承されているのである。

             繊維の 叩解
                  繊維の 叩解

 こうした叩解によって、繊維はほぐされ細かく柔軟になり、セルロースはフィブリル化して表面積を増し、水に懸濁(けんだく)(液体中に分散)し易い状態になる。
最近では、電動式のスタンパーという打解機やビーターという叩解(こうかい)機を用いる場合もある。ただ機械で叩解(こうかい)すると、繊維を短く切断して丈夫な和紙ができなくなる。
手打ちの叩解(こうかい)の場合、繊維は主に縦に裂かれるだけで、ほとんど長い繊維のままであり、紙を漉くときに繊維が充分に絡み合い、丈夫な和紙ができる。



  ④ トロミづけ

 いよいよ処理を終えた繊維(紙料(しりょう))を、水を満たした漉槽(すきぶね)(漉き舟)に入れてかき混ぜ、さらに、和紙独特の「ネリ」という粘剤を加えてさらによくかき混ぜる。
和紙特有の植物性のネリを加えトロミをつけるのは、漉槽(すきぶね)に繊維を分散させておくとき、水の粘性が上がり繊維の沈降を防ぐことができる。

            黄蜀葵 (とろろあおい)
                黄蜀葵 (とろろあおい)

 この水の粘性があがるメリットは、簀(す)からの脱水が緩やかになり、簀(す)を前後左右に傾けて汲み上げた繊維を均一にならすことができ、均質な薄い紙が漉ける。
 しかも簀(す)への汲み上げが数回になっても、繊維の層がうまく重なりあう。さらに、漉き上がった湿紙を紙床に順次重ねて圧搾脱水したあと一枚一枚剥がすときにもきれいに剥がせる特性がある。
 
             黄蜀葵の根
                 黄蜀葵の根

 ネリを使わない留め漉きの場合は、紙床(しどこ)に湿紙を重ねるときに、一枚ごとに紗(しや)を間にはさむ必要がある。さらに都合の良いことは、乾燥させた紙にはまったくネリの影響が残らないことである。
 この和紙特有のネリを使う「流し漉き」は、平安時代の大同年間(805~809)に官立の製紙工場であった紙屋(かんや)院で確立されていることは、前にもふれた。
ネリは、黄蜀葵(とろろあおい)の根か糊空木(のりうつぎ)の内皮をあらかじめ叩きつぶして、水桶に入れて粘液を浸みださせておき、必要に応じて木綿(もめん)の袋で濾(こ)して使用する。
 ネリの本体は、水溶性の複合多糖類、すなわちポリウロニドで、ヘミセルロースと同類である。
 長い分子がフィブリル化した紙料(しりょう)繊維のセルロースに吸着して水中に広がり、液の粘性があがり繊維の分散を促す。

              木槌で叩き水分を含ませると特有の粘りがでる
              木槌で叩き水分を含むことで、特有の粘りがでる

ネリを濃く使うと、緊縮度の高い、つまり腰の強い紙となり、ネリを薄くすると柔軟な紙質になる。ただ天然のネリ剤は、かき混ぜるうちに粘度が低下しやすく、また時間が経つと粘度を失い、温度が高いほど粘度低下が著しいという性質があり、取り扱いに熟練を必要としている。
 このため現在では、ポリアクリルアミド、ポリエチレンオキサイドなどの高分子化学合成品で代用することが多い。




  ■填料(てんりょう)とサイジング剤

 植物繊維で漉いた紙は、拡大鏡で見ると、各繊維間に無数の空隙がある。
 また紙の色は純白ではなく、柔軟性がありすぎ、薄墨では紙に滲(にじ)みが生ずる。

              美濃紙の顕微鏡写真 
                  美濃紙の顕微鏡写真 (王子製紙)

紙はさまざまな分野に使用されるため、それらの用途に応じて欠点を補うために、添加物(填料(てんりょう))を加えて紙を漉く場合が多い。
 中国では、填料(てんりょう)を加えることを填粉といい、サイジング(耐水性を持たせて滲(にじ)みを防ぐ加工のこと)するのを施膠(せこう)といい、魏晋南北朝時代(220-581)の頃から用いられている。




  ■米 粉

 米粉は、中国では紙薬(膠(のり)剤と漂浮(ねり)剤)として最も早く利用したもので、膠(にかわ)剤(サイジング効果)としての機能と共に、紙面を緻密にして白くし、強度を強くする効果もあった。
日本でも鎌倉期から流通した杉原紙は、別名を「糊入れ紙」ともいい、米粉を填料(てんりょう)として混和して漉いていた。また糊入(のりいれ)奉書紙もあり、甲斐や越前でも漉かれた。

               上新粉・白玉粉・もち粉・道明寺粉
                  上新粉・白玉粉・もち粉・道明寺粉

『和漢三才図会』の「造紙法」の条には、
「奉書 杉原紙ハ 米粉ノ 少シバカリヲ和シ白カラシム」とある。
『紙漉方伝授』や『紙漉方秘法』などにも同様のことが記されており、楮紙に米粉をいれることは、一般的であったことがわかる。
また、紙は一般的には、重量で取り引きされたため、紙の白色度の向上や紙質の強化、サイジング効果などの目的の他に、紙の重量を増すという隠れた目的も有ったようだ。 ただ、虫害にかかり易いという重大な欠点があり、明治以後次第に廃止されている。




  ■白土、陶土

 中国の填粉法として、白亜(細粒白色の石灰岩。チョーク)、石膏(硫酸カルシュウムの二水和物からなる鉱物)、滑石(かつせき)(最も柔らかい鉱物の一で、白色、灰色、淡緑色を呈しており、粉末にして用いる)、石灰、陶土(粘土の総称。カオリンともいう)などの粉末を、澱粉(でんぷん)と水を煮た液に混ぜて、紙面に刷毛(はけ)塗りをしていたが、後に紙料(しりょう)液に混ぜて紙を漉くようになった。


           石  灰 陶   土

                   石  灰                  陶   土
  日本で最も著名なものは、摂津有馬の名塩(なじお)の泥(どろ)間似合紙(まにあいし)である。名塩(なじお)特産の土を混ぜて漉き込んだ泥間似合紙は、五色(ごしき)鳥の子、染め鳥の子ともいわれ、一種または混合で着色し、堅牢で耐熱性、隠蔽性(いんぺいせい)が高く、伸縮しないなどの特徴があった。
 摂津有馬の名塩(なじお)の泥(どろ)間似合紙(まにあいし)は、大坂という日本最大の流通機構が控えていたために、ふすま紙としての鳥の子の最上級品として全国に流通した。
 泥間似合紙は、雁皮(がんび)が原料であったが、楮(こうぞ)紙に土粉または石粉を混入したものに、奈良の吉野の宇田紙、福岡筑後川流域の百田紙などがある。





  ■胡 粉

 胡粉(こふん)とは、貝殻を焼き、砕いて粉末にした白色の顔料で、彩色絵を描く下地として塗る顔料として早くから利用されていた。胡粉を填粉として製紙に利用しているのは、美栖(みす)紙(三栖紙ともいう)で、楮(こうぞ)の紙料(しりょう)に混入している。三栖(みす)紙は、御簾(みす)紙とも書き、吉野で産する楮(こうぞ)の薄紙である。
 特に鼻紙(ふところがみ。たとうがみ。ちりがみ)として造られ、中世には御簾(みす)中の女房たちが愛用したので御簾(みす)紙の名がある。
 
             胡 粉
                     胡 粉

 胡粉は、現在では京都府宇治市で製造されるだけになっている。宇治では江戸時代から作られているが、その理由として、一大消費地であった京都に隣接すること、原料である大量の貝殻を搬入するのに淀川、宇治川の水運が利用できること、製造上何よりも大切な豊富な水に恵まれていること、などからであった。




  ■雲 母

 雲母は、カリュムを主成分として含む、板状または鱗片状の珪酸塩鉱物(造岩鉱物の主成分で、地殻の大部分を形成する)で、強い光沢を発することから、ウンモまたはキララといい、略してキラともいう。ちなみに、英語名の mica も、ラテン語の micare も、ともに「輝く」の意に因(ちな)んでいる。
 雲母の結晶構造は層状になっていて、その層と層をつなぐ力が弱く、極めて薄く剥離しやすい性質があり、千枚剥がしとも呼ばれていて容易に粉末にできる。

              マンガン白雲母
                     マンガン白雲母

 その粉末には光沢があるため、この特異な光沢を生かして顔料に添加して用いられた。
 特に扇地紙(じがみ)を漉くときに紙料(しりょう)に混入し、特異な光沢のある扇の地紙(じがみ)に彩色の絵を描いたものが用いられた。
京からかみには、粉末に膠(にかわ)液を混ぜて塗ったり、木版刷りで紋様を摺(す)る顔料としても用い、独特の風合いをもたせている。



  ■礬 水

 動物膠(にかわ)の溶液と明礬(みようばん)を混入したものを、礬水(どうさ)といい、陶砂とも書く。
明礬は、カリュウム、アルミニュウムを含む硫酸鉛鉱物で、繊維状または葉片状で、ガラス状の光沢があり、火山岩中に産する。
 含まれている金属によって種類があり、カリュウムミョウバンを、一般には単にミョウバンといい、熱すれば白色粉末の焼きミョウバンとなる。

         アルミニウムミョウバン  礬 水(どうさ)
            アルミニウムミョウバン          礬 水(どうさ)

 紙のサイズ剤(耐水性をもたせる)の他、媒染(ばいせん)剤(媒染剤を媒介にして着付け・発色させる方法)、革なめし剤などに使用されている。 中国では、南北朝時代ころから、主として紙に耐水性を与え、滲(にじ)みを止めるために用いられ「陶砂」と表記されていた。
 日本も平安時代の辞書『伊呂波字類抄』にも「陶砂」として表記している。
 日本画では、礬水(どうさ)をひいた礬水(どうさ)紙を用いて、顔料の滲(にじ)みを防止している。
 一般の和紙では、紙料(しりょう)に混和して用いることはほとんどないが、「局紙(きよくし)」は、礬水(どうさ)を混ぜて留め漉きしたものである。
「局紙」は、明治初年に大蔵省印刷局で抄造(しょうぞう)したもので、三椏(みつまた)を原料とし、光沢があり丈夫で耐久力に優れた紙で、証券などの印刷に用いられた。大蔵省印刷局で抄造されたため、「局」の名が冠せられていた。



  ■ロジン(rosin)

 ロジンは、インキの滲(にじ)みを止めるために、動物膠(にかわ)に代わる植物性のものとしてヨーロッパで開発されたものである。
 松脂(まつやに)を水蒸気で蒸留し、テレピン油(松精油ともいう)を除いて得られる淡黄色の樹脂である。紙料(しりょう)液に簡単に混入することができ、製紙用サイズ剤として広く用いられている。

           ロジン

 礬水(どうさ)に比べ、ロジンサイズ剤は製造コストが安く、取り扱い作業が極めて簡単である。
  膠(にかわ)サイズ剤は、紙面を緊縮硬化させるため、絵画用や筆写用に適し、ロジンサイズ剤は印刷用に適している。

pageTOP










  ■華麗な和紙漉き

 さて、華麗な身ごなしが必要なのが、流し漉きである。
 まず漉槽(すきぶね)に水を入れ、紙料(しりょう)を0.2%程度の濃度になるよう整え、棒と馬鍬(うまくわ)という大きな竹でできた櫛(くし)を漉槽(すきぶね)の支柱に取り付け、前後に揺らしながら百回ほどかき混ぜて、原料の繊維を一本一本バラバラにする。
 次にネリを入れて更に棒と馬鍬で数十回かき混ぜる。こうして丹念に紙料(しりょう)を漉槽(すきぶね)に分散させ、馬鍬を取り外し漉き上げの準備が完了する。
 こうした 原料の調整が終わると、もっとも繊細な技術を必要とする紙漉作業に入る。
 まず、竹製の簀(す)を挟んだ漉き桁(けた)を、手前に向かって紙料(しりょう)液を少し汲み上げ、素早く紙料(しりょう)を平らにする。

          紙料液の汲み取り
               紙料液を汲み取り

 この最初に汲み上げる液をとくに「初水(うぶみず)」「化粧水」といい、これでできる層が紙の表面となり、表面の肌を決定する大切なものである。

          初 水 (うぶみず)
              初 水 (うぶみず)
 
 「初水(うぶみず)」を濾(こ)し終わると、次の汲み上げを行う。
 これを「調子」といい、やや深く汲み上げて漉き桁を前後に傾けて揺り動かす。
 この「調子」を三、四回繰り返して、「本調子」に入る。
 本調子は、紙の本体を形成するもので、槽の奥から手前一杯に紙料(しりょう)液を汲み取り、一呼吸おいて、漉き桁を前後と紙質によっては横にも揺する。

          リズミカルな本調子 
              リズミカルな本調子 
       
 この紙料(しりょう)液を「揺する」のは、紙の地合いや強度、すなわち紙の美しさと強さを決定するためである。
一般に、緊縮度の要求される半紙や半切紙は強く揺すり、奉書紙のように柔らかさを求められる紙は、緩やかに揺する。 天具(てんぐ)帖(てん)紙(美濃で漉き始めた最も薄い楮(こうぞ)紙の一つ。表装の裏打ちや漆濾(こ)し、紙布(しふ)の紙糸などに使われた)は、極薄の紙ながら粘りと強さを要求されるため、流し漉きの極致といわれ、縦横に激しく波たたせて揺すり動かす技が必要である。
 何度か繰り返し、目的の紙の層ができると、簀(す)の上に残っている余分な紙料(しりょう)液が、簀(す)の奥に流れた瞬間に、先の方へ放り出すようにして捨てる。
 これを「捨て水」といい、このときに余分な繊維の不規則な固まりや浮遊している塵を除く。
 漉槽(すきぶね)の中の紙料(しりょう)の濃度は、汲み上げる度に薄くなって行くため、初水(うぶみず)、調子、本調子とも揺り動かす幅、速度や方向を、バレー(舞踏)のように、華麗でリズミカルな的確さが要求される。
 流し漉きの、このような華麗な技を拾得するには、じつに長年の習熟が必要で、まさに伝統の技なのである。
 
       簀(す)のうえに紙層を載せたまま紙床移し
          簀(す)のうえに紙層を載せたまま、          紙床移し

 水を濾(こ)し終わったら、漉き桁の留めを外して、簀(す)のうえに紙層を載せたまま、紙床にうつ伏せにして、静かにめくるように簀(す)だけをはがす。
同様にして、漉き上げた湿紙を紙床に重ねて行く。







  ■乾 燥

 紙床に積み重ねた湿紙は、まだ多量の水分を含んでいる。
 紙漉が終わってから、一夜ほど放置し水分を自然に流失させ、湿紙の上に麻布・押掛板を重ね、圧搾機で脱水する。テコを利用して圧搾する方法と、単に重石を載せる方法があるが、いずれも急激な加圧をさけ、数時間かけてゆっくりと脱水する。
 この圧搾による脱水を行っても、まだ湿紙には60~70%の水分を含んでいる。
 紙床に重ねた表裏が逆になるように返して、手前から奥へ紙葉を剥がし、栃の木で出来た干し板(張り板)に刷毛(はけ)で張り付け、野外に並べて天日で乾燥させる。

      干し板張り付け 天日自然乾燥
              干し板張り付け                 天日自然乾燥

 この時、簀(す)に面した側が紙の表になるため、干し板の面へ紙の表が接するように張り付ける。
 この天日乾燥は、冬季では半日、夏場なら約一時間で干し上がる。
 日光で漂白され、独特の光沢のある紙ができあがる。
干し板は日本独特の方法で、中国や朝鮮では火力で熱した焙(あぶり)壁を用い、欧米では室内のロープや長い竿にかけて風で乾かし、チベットやタイなどでは漉いた簀(す)のまま天日で乾燥させる。
現代では、鉄板製の乾燥面に湿紙を張り、裏面から蒸気で熱して強制乾燥させている。蒸気による乾燥では、完全に脱水しきれないため、和紙独特の風合いが少し損なわれる欠点がある。




  ■仕上げ

 乾燥された紙は、地合(じあい)、損傷、汚損、塵、色彩、緊縮度、毛羽立ち、厚さ、寸法などの検査を行い、不良紙を取り除く。
緊縮度の大きい紙は、俗に「腰の強い紙」といい、折り曲げたり、急に引っ張ったときに発する音、すなわち「紙の鳴り」を聞いて緊縮度を計る。
選別が終わると、決められた寸法に断裁する。 代表的な和紙の断裁寸法をごく一部示す。

          10帖で1束



     越前大奉書紙 一尺三寸×一尺七寸五分(39.4×53㎝)
    本美濃紙 九寸三分×一尺三寸 (28.2×40.3㎝)
    石州半紙 八寸二分×一尺一寸六分(25×35㎝)
    西の内紙 一尺一寸×一尺六寸 (33.4×48.5㎝)
    間似合紙(まにあいし) 三尺一 寸×一尺二寸 (94×36.4㎝)

  断裁の終わった束は、強靱な厚紙を小幅に切ったもので紐掛けする。一般的には、10帖で1束、10束で一締(しめ)といい、一締(ひとしめ)を厚紙で包装する。
 奉書紙は、10束で一丸(ひとまる)という。

 代表的な和紙の包装単位
   奉書紙 一帖=四八枚   一束=一〇帖  一丸=一〇束
   半紙 一帖=二〇枚 一束=一〇帖 一締=一〇束
   一丸=六締
   美濃紙 一帖=五〇枚 一束=一〇帖 一締=五束
   一丸=四締
   西の内紙 一帖=五〇枚 一束=一〇帖 一締=五束
   一丸=二締

pageTOP




  
(三)製紙の用具






  ■漉き簀

 最も古い形の漉き簀(す)は、木または竹の枠に荒い麻布、または麻糸で編んだものを固定したものといわれる。次いで前漢の頃から、竹ヒゴを編んだ簾を用いた。
中国の西域地方では、イネ科の植物で編んだ草簾(す)を用いた。日本でも古くは草簾を用い、カヤで編んだ萱(かや)簀(す)を用いたという。

           漉き船

 ヨーロッパに伝わったのは、アラビア経由の草簾であったが、イタリアで発明された銅線を張った金属編みに、早く変更になっている。
 日本でもやがて、仕上がりの良い紙肌が得られる、竹ヒゴの簀に切りかわっていった。
竹ヒゴを編む糸は、紙に編み目の漉き模様(紋)が目立たないように、馬の尾毛が用いられ、近世には撚りをかけた絹糸を使い、近年はナイロン糸を用いている。

           漉き簀と漉桁
                漉き簀と漉桁
 
 また竹ヒゴを細く削るには、相当の熟練を必要とする。もともと竹ヒゴは太く粗目であったが、次第に極細のヒゴが作られるようになり、それに従い薄物の紙が漉けるようになっていった。
簀目の精粗は、紙料(しりょう)液の滴下する量や速度と関連し、紙厚(かみあつ)と相関関係にある。
平安期の「薄様」や吉野紙そして天具(てんぐ)帖(てん)紙などの極薄の紙を造ることが可能になったのは、粘性植物の「ネリ」を使用するとともに、目の細かい簀(す)を作る技術があったことによる。

           漉き簀
                 漉き簀

 製紙用の簀目の精粗は、目的とする紙厚によって変えるが、一寸(3㎝)幅に竹ヒゴを何本組み込んでいるかで区別する。
 標準の厚物用で17から25本、中物用が30から40本、薄物用は45から50本とされている。
 薄物用竹ヒゴの直径は、0.6六ミリという超極細のものを使用する。







  ■漉き紗

 しばしば漉き簀(す)の上に紗(しや)を載せて紙を漉くことがある。
 奈良時代の『延喜(えんぎ)式』にも紗について「漉き簀(す)に敷く料」としている。この時代には簀目(すのめ)が荒く、紗を敷くのが一般的であったようである。  

             紗の拡大図 
                紗の拡大図 

 紗は織り目が粗い、薄くて軽い平織物(経糸と緯糸を交互に交差させて織る最も単純な織)で、製紙用には、紙質に応じて布目の密度を変えて織り、布目がずれないよう柿渋で固定する。
天保(1833-43)の頃の『紙漉方秘法』には、薄葉紙の場合「漉くには 紗のきれを縫いつける」
と特記している。極めて薄い天具帖(てんぐてん)紙、滑らかな紙肌の雁皮紙(がんぴし)で特に薄葉のもの、また紙面にわずかなピンホールも許されない紙を漉く時に、紗を用いる。
 このときは当然ながら竹簀(す)の目の最も細かなものが用いられる。竹簀(す)の目が粗いと紗の漉き紋が残ってしまう。
 
 逆に、漉き紋を付けたり、透かし紋を入れたりする紙がある。
 透かし紋には、「黒透かし」と「白透かし」がある。

            お札の黒透かし

 現在では紙幣に黒透かし(明暗のある透かし)が使用されており、贋造防止のため黒透かしは一般には禁止されている。このため、白透かしだけが一般には造られていることは前にふれた。
 透かし模様は、簀(す)面に凹凸を付けて漉くと、凸の部分が薄く漉け、他の部分よりも光が透過しやすく、透かし紋様となる。逆に紙の厚さを部分的に厚くすると、
「黒透かし」になる。
 現在の紙幣には、この両者を巧妙に組み合わせた「白黒透かし」が使われている。
 普通は、渋紙を紋型に切り抜いて簀(す)に縫いつけ、紗を用いる場合は、漆で紋を描いて凸部を造る。 中国では、糸で編んだものを竹簀(す)に固定し、ヨーロッパ(イタリア・ファブリーノで開発)では銅線細工で紋型を造り、透かし紋を入れた。




  ■漉き桁

 簀(す)を支持して紙料(しりょう)液を汲(く)み、揺する操作をする用具を漉き桁(けた)といい、「小手(こて)」ともいう。
 一般には、上桁と下桁よりなり、その間に簀(す)を挟む。
 昔は別々に離れていたが、今は蝶番で連結されている。

      簀桁(すけた)   漉き桁と簀
           簀桁(すけた)                    漉き桁と簀
  
 下桁は、普通三寸五分(10.5㎝)ほどの間隔で縦に桟木(さんぎ)を並列させており、これを「小ザル」という。この桟木の上部は、刃のように鋭くとがっており、簀目が挟まり、たわむのを防止すると共に、水を濾過し易くする役目も果たしている。
 簀(す)の目が細かくなるに応じて、小ザルの数も多くなる。
 漉き桁には、よく乾燥させた檜(ひのき)を用い、紙料(しりょう)液を汲んで相当の加重がかかっても、歪まず水平になるよう、あらかじめ微妙に湾曲をつけてある。

           上桁の把手(にぎりて) あるいは下桁の先端とを結び、竹の弾性を利用して調子をとりながら揺する。

 さらに、紙料(しりょう)液を汲んだ重い漉き桁を操作し易いように、漉き槽の上部に「弓」という竹竿をかけ、その先端から紐を垂らして、上桁の把手(にぎりて) あるいは下桁の先端とを結び、竹の弾性を利用して調子をとりながら揺する。




  ■脱水乾燥具

 漉き上げた湿紙は、紙床で自然脱水を行った後、まず湿紙を重ねたまま圧搾による脱水を行い、それから一枚一枚はがして乾燥させる。
 湿紙の圧搾脱水機は、支柱に穴を開けて長い棒を差込み、棒を湿紙の上にのせ棒の先端に重石を吊す、テコを応用したものである。もっと簡単なものは、湿紙の上に板を載せて、そのうえから重石を載せる。

           湿紙の圧搾脱水機

 近代には、螺旋(らせん)式のスクリュープレス機やジャッキによる圧搾脱水が行われるようになった。
圧搾脱水が終わった湿紙でも、まだ含水率は60~70%の水分を含んでいる。
  これを一枚ずつ剥がして、干し板に刷毛で貼り付け、野外に並べて天日で乾燥させる。干し板は、平面が平滑で日光によって変形しないものが良く、一枚板が使用された。

          干し板に貼り付天日乾燥蒸気乾燥
                 干し板に貼り付天日乾燥

 材質は、ヒノキ、トチ、カツラ、イチョウ、マツなどか使用された。土佐ではヒノキ、越前ではカツラが好んで用いられた。 干し板の平滑さを保つため、毎月一回程度洗い、一年余りして表面を削る。高級な御用料紙などのためには、漆を塗って平滑に磨いたものを用いた。
 平滑な干し板に貼り付けて乾燥させると、和紙特有の光沢がでる。
干し板に貼り付ける時に使用する刷毛(はけ)も、特に緻密さや滑らかさと光沢を求められるときは、馬毛や鹿毛の刷毛を使用する。また、奉書紙や雁皮紙(がんぴし)などの高級紙で、特に光沢をよくするためにツバキの葉で撫でつけた。
近年では、雨天でも作業が出きるように、蒸気乾燥機が用いられている。今日、干し板に相当するものは、固定式の鉄板または回転式のスチームドラムを使用している。より高い平滑性のために、鉄板に漆を塗ったり、ステンレス板を使用する場合もある。




pageTOP        第一章に戻る     第二章に戻る

■Top Pageへ


アクセスカウンター
アクセスカウンター
アクセスカウンター